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判断と博打

昨日家に帰ってテレビをつけると鳩山総理大臣の「辺野古閣議決定」の記者会見の中継をしていました。色々言われて気の毒だけれど、自分でまいた種は自分で刈らなければいけないし、立場が立場だからしかたないなと思います。

でもこの問題については、実際のところはどうだったんでしようか?色々な発言をするには、それを支える判断があったはずで、その判断をするには、それ相当の情報と根拠がなければならないはずですが、判断するに足りる正確な情報がもたらされていたのでしようか?どうもそういう風には到底思えないので、可愛そうだと思います。

ところで「判断と博打は違う」ということ自体については多くの人が同意すると思いますが、実際にきちんと「判断」できているのでしようか?

事務局の仕事について、組合員の相談を受けたときに、その状況を正確に聞きだすことができなければ、そこから出てくる結論は、正しいなものにはならない可能性があります。
昨日もある組合員の相談を受けましたが、説明のし方ひとつで結論は180度変わる典型的な例でした。我々の仕事は判断業務ですが、それには状況をありのままに聞き出すことが大前提です。

事務局に入所した当初、事務局職員から組合員の件について判断を求められることがあったので、判断するために色々と情報を聞き出そうと質問したのですが、質問しても全く答えが返ってこないので、結論がだせないでいると、「判断しない」ということを言われたことがあります。また税務調査の事後報告会で何故過去そんな処理をしたのか質問しても、「一般的にそうだから」とか、「以前からそう処理していた」という回答しかかえってこなかったので、今後は法律的な根拠で説明することを強制し、「誰かに言われたからそうした」とか、「過去からそうだから」等の回答は禁止しています。

我々の行う「判断」とは、きちんと状況を把握して、(立法趣旨も含めた)法令等の根拠も理解して、当局の実務的な体制等も考慮して初めて下せるもので、それをしないで下す「判断」は、判断ではく「博打」だと思います。

時には「えいやー!」あるいは「一か八か」の博打も必要ですが、いつも「えいやー!」では、状況把握能力も、理論的思考も絶対に身につきません。状況をいかに聞きだすか、そして聞き出した情報が結論にどう影響するか、我々は常に念頭において行動しなければならないはずです。これは判断を行う立場にある者には絶対条件だと思いますが、なかなか難しいですね。

事務局職員はみんなこの判断をする練習を毎日しているのですが、この難しいことを当たり前に行えるようになれば、社長業もなんなくこねせると思うし、総理大臣や大統領の職もこねせるはずですよね。でも実際には多くの専門家や社長も、総理大臣や大統領も、この当たり前のことができていないですよね。まあ周りの協力がなければ絶対に無理ですが。

事務局のスローガンである「思いやりの気持ちをもって、当たり前のことを、当たり前にする」ことは、実は本当に難しいことです。だからこそやってみる価値があると思います。


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